所蔵者 | 国立公文書館 |
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請求番号 | 310-0040 |
冊数 | 5 |
画像枚数 | 172 |
画像撮影 | 株式会社インフォマージュ (国立公文書館の委託による) |
撮影日 | 2018-03-08? |
国立公文書館より受領した 5 枚の非圧縮 TIFF 画像入り DVD をイメージ化し、可逆圧縮を加えたもの
元々は希麟が統和五年 [987] に著した音義書。この版は、高麗再雕本の大蔵経の中にあったものをもととし、白蓮社/忍澂とその門弟が出版した一切経音義と由来を一にする白蓮社本だと考えられるが、そう考えることを不自然に思わせる点もある。いずれにせよ、延享三年 [1746] に出版されたものである。
第5冊末付近に原書では延享三年 [1746] 梓行であることと版元等を示す複数行があるはずだが、この本では当該箇所が切り取られている。この部分が残っている (ただし封面裏の序を失っている) 東京大学総合図書館蔵本とは見たところ同版の関係にあり、国立公文書館の目録が延享02年 [1745] としているのは先述の切り取りに起因する (第1冊先頭の序を参照した) ものか。5 冊すべての末尾に“文化甲子” (文化元年 [1804]) と朱印有り。これは昌平坂学問所の収蔵年を示す蔵書印 (例えば“鉅宋広韻”のそれに一致) であり、印年はこれ以前。
希麟の生没年は不詳であるものの、その古さから世界的にパブリックドメインの状態にあると推定。これは、高麗再雕本と、それを翻刻した 1746 年の白蓮社本 (注: 白蓮社本は高麗本の無批判な翻刻ではなく校注を含む) に関しても同様であると考える。
契丹 (遼)、燕京崇仁寺の沙門であった希麟 (生没年不詳) が慧琳の一切経音義の続編として著した仏教の難解な語などを解説する音義書。慧琳の一切経音義ともども中国では失われたと考えられており、唯一高麗大蔵経の再雕本に入蔵されたことでその全体が現代にまで残る (高田氏は西脇氏と聶氏の論文にあるトルファンやカラホトに断片が残るという報告を紹介している)。
また白蓮社本は、白蓮社とも号される僧侶、忍澂 (1645-1711) が発願し、前述の高麗本を写すとともに校訂を行い、全体としては忍澂の没後に刊行されたものである。白蓮社本と呼ばれる音義書のうち、一切経音義の底本は主に建仁寺蔵の高麗本 (天保八年 [1837] の火災により大部分を失う) であり、一部分は巻29 の欠損部にある記載を考えると、縁山 ― この場合、増上寺蔵 (こちらは現存し、重要文化財) の高麗本によって補おうとした形跡がある。
対して、続一切経音義の方は序文からすると高野山所蔵の何らかの本 (後述) が使用されたようだ。また、この本を厳密な意味で白蓮社本と呼んで良いのかにも若干の疑問がある。Google Books にて公開されている慶應大学図書館蔵本は第5冊末に挿入された絵が内閣文庫本と一致するものの、延享三年梓行であることを示す一行の後に “高野山 北室院藏版” とある。諸本 (例えば續修四庫全書本を含む) を考えるに当該箇所で “獅谷白蓮社藏版” とするものが全体的には後印と見られる (この考えに従った場合、内閣文庫本は “高野山 北室院藏版” をもう一行とともに消した存在か?) ものの、純粋に高野山刊行のものと考えるにはあまりにも白蓮社本の一切経音義 (こちらは巻29 で明示されている底本と伝記との一致やその他の特徴からして純粋に白蓮社本として問題が無いと考える) と体裁が統一されているほか、後代には一体の白蓮社本として扱われている。このため、白蓮社本であることとして不自然が無い一切経音義と異なる背景を持つ続一切経音義については、その由来について追加の調査が必要かもしれない (想像ではあるが、これは一切経音義と由来を一にするもので、高野山所蔵の本を用いたこと、あるいは出版への支援態勢が一切経音義と異なったことから、一時的に異なる経緯をたどったものではないだろうか)。
なお、内閣文庫本の一切経音義については、後印と思われる東京大学蔵本と異なり第50冊末 “獅谷白蓮社藏版” の部分が墨釘となっている。帰属表記が後代になってから厳格に行われるようになったことについては疑いようがない。
前述の通りこれは高麗本の無批判な翻刻ではなく、テキストとして不自然な箇所、当時の学識からして不自然な箇所を中心に頭注によって校訂情報が記されている。ただ高麗本の字形を誤解釈したと思われる箇所や新しい誤写もあるため、利用にあたっては若干の注意を要する。また本書には何らかの “異本” と校合を行った形跡があるが、その素性は不明。本文テキストの底本は高麗本と一致する箇所としない箇所の両方があり、統一されていない (高麗本と “異本” の混合テキストである) か、もしくは可能性は低いが高麗本とも “異本” とも異なる第三の本であると考えられる。
白蓮社本の二者は清末に中国に伝えられ、日本から大量に輸出されるほか中国でも複製刊行が成された (ただし、多くは双方とも頭注を失う。一切経音義に関しては佛教大学宗教文化ミュージアム (2010) “法然院忍澂上人と大蔵対校録” 図録が載せる法然院蔵本については頭注を持つが、内閣文庫本、東京大学総合図書館蔵本ともに頭注を持たない。この点については、中国に渡る前から頭注が脱落していた可能性も含め、他の本を含めた確認が必要であろう)。特に、全体としては大日本校訂大蔵経 (縮刷蔵) の活字を大きくした複製である “頻伽精舍校刊大藏經” のうち音義部は底本である縮刷蔵とは大きく異なり、白蓮社本の一切経音義と続一切経音義を影印した上で一部校訂したものに差し替えられている (底本の縮刷蔵は活字であるほか、当時としては [現在でも全文は高麗本にのみ含まれており] 貴重な新集藏經音義隨函錄および、中国の大蔵経には既に含まれていた玄應の一切經音義、新譯大方廣佛華嚴經音義および紹興重雕大藏音を含むが、頻伽精舍本はこれらを排している)。
公開時期が偶然重なった東京大学総合図書館蔵の続一切経音義と比べると、所々に鮮明さの違いがあるため、互いの不鮮明箇所等 (版木の割れ等を除く) に関しては補うことが可能だろう。こちらの本は出版者等から考えて、おそらく明治時代、早くとも内閣文庫本より遅い幕末の後印本であろう (そのため東京大学本には版面に若干の傷みがあり、対して内閣文庫本には若干の虫損がある)。